3.3 エルダー・オン・キャンパス
カナダ先住民族のファーストネーションの人々は、年長者をエルダーと呼んで敬います。エルダーは、単にある年齢以上の高齢者というだけでなく、知恵と経験をもち、歴史や文化を伝承し、若い世代を導く識者として信頼と敬意を集める存在です。口承の歴史文化(オーラルヒストリー)や教育における年長者の役割があり、年長者に対する行動規範(プロトコル)もある中での存在です。血のつながりがある文字通りのおじいちゃん、おばあちゃんではなく、もっと広い意味で、コミュニティや社会にとっての年長者に対して「エルダー」という呼び方がなされています。
ユーコン大学では、大学というコミュニティにとってのエルダーとして、エルダー・オン・キャンパス(Elders on Campus)と呼ばれる数名を迎えています。ユーコンの14のネーションから選ばれたエルダー・オン・キャンパスは、スタッフや教員とともに大学でのさまざまな活動にかかわり、先住民族の世界観を教育と日々の生活にもたらしています。ホワイトホースにあるメインキャンパスのほか、地方にあるサテライトキャンパスにも、それぞれエルダー・オン・キャンパスがいて学生をサポートしているということは、後になって知りました。
*ユーコン大学のエルダー・オン・キャンパスについて紹介したニュースサイト
https://newsinteractives.cbc.ca/longform/elders-on-campus
エルダー・オン・キャンパスは講義のゲストスピーカーとなったり、伝統言語やクラフトなどのワークショップを行ったりして、日常的に学生や職員と交流しています。私も、歴史の授業で出されたオーラルヒストリーの課題でエルダー・オン・キャンパスの一人にインタビューを行い、寄宿学校での悲しい経験とそのトラウマから立ち直るまでの苛烈な挑戦を直接うかがうことができました(2.1.3参照)。
他にも、講義や学生生活のさまざまな場面でエルダーからは、科学と伝統的な価値観の二つの視点(Two-eyed seeing、4.4参照)で世の中を見ること、私たちが互いに関係しあい、土地や水ともつながっていることなどを学びました。こうしたことを先住民族の土地であるユーコンにおいて、本やインターネットからではなく、人と人との対話の中で学ぶことができたことは、ユーコン大学での学びが自分の期待をはるかに超えるすばらしいものだったと感じる点です。
エルダーに何かをしていただいたときには、必ず小さくてもお礼の形をお渡しするのがマナーとなっています。カレッジの授業にゲストスピーカーとして来てくださったときなどにも、クラスのみんなでお礼のカードを書いたり、小さなプレゼントを用意したりします。こうした習慣を学ぶことも、コミュニティの一員としてユーコンに住むうえでは大切なことです。
【参考】
・学校教育現場にエルダーを迎えるうえでの作法などを記したハンドブック
“Elders in Schools Handbook: A Guide for District Education Authorities and Divisional”. Education Councils in the Northwest Territories.
https://www.ntassembly.ca/sites/assembly/files/13-06-3td_84-174.pdf
エルダー・オン・キャンパスに出会うキャンプファイヤー
私が初めてエルダー・オン・キャンパスに出会ったのは、新学期が始まったばかりの頃でした。主に新入生を対象に、さまざまな説明会やイベントを行うオリエンテーション・ウィークの一環、キャンパス内の焚火施設でキャンプファイヤーを囲みエルダーの話を聞くイベント、「エルダーズ・キャンプファイヤー」でのことです。
キャンプファイヤーの周りで何気ない雑談をしていたかと思ったら、この日招かれていたエルダーであるロジャーがとつとつと話し始め、スタッフが録音機のマイクを向けました。
話はロジャーが子供の頃、寄宿学校に入った頃のことから始まりました。当時の私の英語力で聞き取れたのはつぎのようなお話です。
– 寄宿学校は、わたしを英語圏の一員にしようとした。そのために寄宿学校は、あらゆる罰を私に与えた。
– 彼ら(白人社会・白人政府)は学校(に先住民族である私を行かせること)によって私から文化や、感情やあらゆるものを奪った。
– 1960年、カナダの先住民族は(カナダ政府により市民権を与えられ)公立学校public schoolに行けるようになったが、そこでは多くの差別を受けた。
– 友人からすすめられて飲酒を覚え、(寄宿学校の悪夢から逃れて)よく眠れるようにと常用するようになった。
– エドモントン、カルガリー、バンクーバーなどの路上で生活したこともあった。
– 私は脅かされることを学んだので、脅し返すために柔道を習い、黒帯をとった。
– (その後、家庭をもってからの)あるとき、私のこどもたちが、「I love youはどうやって言えばいいの」「ハグはどうやってすればいいの」と訊いてきた。それは白人の文化だし、私自身は(寄宿学校に行っていたため)体験しなかったことだったから、できなかった。子どもたちにも教えていなかった。今では私も子どもたちにI love youと言う。ハグもできる。まるで生まれ変わったようなものだ。
– CAIRS (Committee on Abuse In Residential Schools)*でカウンセラーと話してきた。
– 今は、このような体験を話すことは私にとって公的な仕事と考えている。
-つらい体験や怒りを解放すること(Let it go)を私は学んだ。(それでエルダー・オン・キャンパスとして務めるようになった。)この仕事に引退はない。
-人はpowerをもっている。あなたの力を×××してはいけない。ただ握手をして、一緒にお茶を飲もう(よく聞き取れなかったのですが、植民地主義やハラスメントのようなことにpowerを使ってはいけないという意味合いだっただろうと思います。powerは、筋力などの物理的な力というよりは、権力のような意味でしょう)。
*CAIRS: 1993年設立。寄宿学校のサバイバーや家族が、カウンセリングを受けたり、体験を語ったりクラフトをしたりすることで癒しを得るための”安全な場所”としてつくられた。
この間、20分くらいだったでしょうか。静かに話は終わりました。このときが私にとっては寄宿舎学校の話を耳にした最初の機会でしたが、皆が耳を傾ける雰囲気と、断片的に理解した話から、これは大事なことだ、ちゃんと聞かなくてはいけない、と感じたのを覚えています。
その後、エルダーのキャンプファイヤーは決まった曜日のランチタイムに行われていることを知り、授業などの都合がつくときには参加するようにしました。録音は毎回行われるとは限りません(むしろまれ)。ときにはバノックというパンが出されたり、ラブラドールティーにローズヒップが加えてあったりして、お茶やバノックをいただきながら、エルダーの話を聞くのが楽しみになりました。家族と離れて一人留学している私にとって、このキャンプファイヤーにくればエルダーがハグで迎えてくれ、知った顔のスタッフや学生もいて、文字通り”アット・ホーム” (家にいるよう)な気持ちになれるのでした。
後から思えば、何百kmも離れたコミュニティから一人でホワイトホースに来て大学で学んでいる先住民族の若者にとって、エルダーが迎えてくれる場所があるということは、本当に大切なことなのでした。学校に通うために初めてコミュニティをはなれた若者が、都会の生活になじめず、アルコールやドラッグに溺れ、また差別や暴力を受けて命を落とすという事件が、実はカナダ全土では今も後を絶たないのだそうです(参考: タニヤ・タラガ著「命を落とした七つの羽根」青土社)。エルダー・オン・キャンパスは、大学の中に先住民族の若者にとって「安全な居場所」をつくるという大事な役割を果たしています。エルダーの中にはロジャーのように、寄宿学校のサバイバーであり、飲酒などの習慣を断ち切って心身の健康を取り戻した人がいます。世代を超えたトラウマに苦しむ先住民族の人々にとって、エルダーの存在はメンターであり、モデルでもあると言えるでしょう。
ポッドキャスト エルダーとオーラルヒストリー
コミュニティにおけるエルダーの役割には、歴史や文化を口承で伝えるオーラルヒストリーがあります。
キャンプファイヤーでエルダーの話を録音していた女性は、エルダー・オン・キャンパスのオーラルヒストリーを記録するプロジェクトに参画していて、その成果の一部はポッドキャストとして公開されています。関心を持たれた方は、ぜひ視聴してみてください。
エルダー・オン・キャンパスプロジェクトの集い
2019年の5月、ユーコン大学エルダー・オン・キャンパス プロジェクトの集いがありました。
こうした集まりでは、時間によって食事やお茶が出されます。みんなで食事をいただくときには、かならずエルダーの一人がお祈りをして、エルダーが最初に食べるのがプロトコール(規範)です。他の参加者は、エルダーに料理が提供されたのを見てから食事を受け取ります。
ランチの後、キャンプファイヤーに場所を移し、エルダーが火にタバコとともにお祈りを捧げて集いが始まりました。学生やエルダー、スタッフ以外の参加者(ふだんキャンパスでは見かけない人たちがたくさん来ていました)が1人1人自分の話をしました。
「誰もが物語をもっている」「誰もが語るべき話をもっている」、というのが、オーラルヒストリーの文化をもつファーストネーションの人々の考えです。時間を区切ることなく、それぞれの話が終わるまでみんなじっと聞きます。時に聞いている方はうなづき、話している方は泣いたりしながら、最後まで語ります。
こんな風に、人が集まっている中で、うなづいてもらって話をするのは心地よく、安心感のあるもので、聞く経験も話す経験も長く積んでいるから、きっとみんな話が「巧い」のでしょう。「巧い」というのは、プレゼン能力だとか、説得力だとかいうのではなく、その人それぞれの物語があるという意味です。
1人話し終わるたびに、みんながMahsi (ありがとう)と言います。
コミュニティからの参加者の中には、「寄宿学校で私のすべてを変えられてしまった。今は薬物やアルコールに頼るしかない、別の生活をしたいのに、すべてがうばわれてしまった」と短く語って、あとは涙ぐんでうなだれてしまう姿もありました。大きな試練を経て、「声を取り戻した」と語った人もいれば、「まだ心の準備ができていないけれど、私自身も学び、将来の世代にも私たちの価値を伝えていきたい」と話す人もいました。
私が話す間、うなづきながら聞いてくれた男性がいました。彼は、「言語を失うと、人を失う。いまわれわれの言語を話せるエルダーが減ってきてしまっている。子どもたちに、このことを伝えていかなくてはならない」「でももし言語を間違って話したとしても、人と人とが対面で、互いに真心をもって話すなら、必ず意味は伝わるから心配はいらない。間違っても、そこから学ぶことができるから大丈夫だ」と、後半は私の目を見て言ってくれました。
エルダーの一人は、「教育を変えなくてはいけない。進化論では、後から出てきたものが優れているということになっている。でも私たちの価値、学び方は、今の(主流社会の)学校での教育とは違う。どちらか一方ではなく、両方をレイヤーとして、併せて新しいしくみをつくらなくてはいけない」と語りました。
すっかり話し終わったときには、予定を1時間近く過ぎて、すっかり夕方になっていました。
会のクロージングのお祈りは、イヌイットのエルダーの女性でした。ユーコン大学には、イヌイットの学生やエルダーもいるのです。お祈りは、歌のような荘厳なものでした。
別れ際、私に一人のエルダーが近づいてきて、彼らの言葉(Northern Tutchone) で教えるから繰り返しなさいと言って教えてくれたのが、「友達」と 「また会おう」でした。あいにく耳で聞いて覚えるのはまったく苦手で、忘れてしまったのですが…
大事な学びをいただいたのはこちらなのに、カードまでいただいてしまいました。
こうして、私も初めてのキャンプファイヤー以来、さまざまな行事や日常でのエルダーとの交流を通して、寄宿学校をはじめとするカナダの植民地政策や、ファーストネーションの人々のもつ価値観などを少しずつ、自然に知るようになったのです。
Mahsi cho.(ありがとうございました)