ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

B-5 マウラロドリゲスメディナさん

犠牲者
マウラ・ロドリゲス・メディナさん
サンティアゴ・ロハス・ロドリゲスさん
フランシスカ・ナジャロ・ロドリゲスさん
証言者
ロドミラ・セゴヴィア・ロハスさん

マウラ・ロドリゲス・メディナさんとサンティアゴ・ロハス・ロドリゲスさんの顔写真と、サンティアゴ・ロハス・ロドリゲスさんとフランシスカ・ナジャロ・ロドリゲスさんの遺体発掘現場

 1984年5月26日、マウラ・ロドリゲス・メディナ(写真右上)はセヘランブラスの土曜市でセンデロ・ルミノソに暗殺された。息子のサンティアゴ・ロハス・ロドリゲス(写真右下)が拷問と殴打の末に殺された後、マウラ自身も殴打され、谷間に引きずって行かれてナイフで刺し殺された。妊娠9ヶ月だったサンティアゴの妻フランシスカ・ナジャロ・ロドリゲスも同じ運命をたどった。センデロ達は3人の犠牲者に密告者としての烙印を押した、村人達は報復を恐れて遺体を埋葬した場所を明かさなかった。孫娘と親戚家族が事件の真相を知ったのは2002年になってからのことだった。

 遺骨が発掘されたのは2003年になってからだが、捜査を混乱させるためか、死体遺棄現場には動物の骨が混ぜられていた。最終的には、検察庁の協力を得て遺骨を発掘することができた。発掘されるまでは、3体の遺体と胎児が遺棄されているものと考えられていたが、分析の結果、37歳男性、30歳女性、そして9ヶ月の胎児の遺骨しか遺棄されていなかったことが判明した。

 現在、これらの遺骨は、検察庁の強制失踪事件を専門に扱う部局に保管されている。

 写真左は2003年の遺骨発掘作業の様子。サンティアゴ・ロハス・ロドリゲスの遺骨が、妻フランシスカ・ナジャロ・ロドリゲスと9ヶ月の胎児と共に発掘された

⇒証言(ロドミラ・セゴビア・ロハス)

 

2022年03月22日更新