ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

B-4 アレハンドロパロミーノクルスさん

犠牲者
アレハンドロ・パロミーノ・デ・ラ・クルスさん
証言者
マキシマ・テノリオ・デ・パロミーノさん

アレハンドロ・パロミノ・デ・ラ・クルスさんの写真とマフラー

 アレハンドロは、1979年までリマで労働者として暮らしていたが、2人子どもの死をきっかけに故郷パンパカンガージョのパクパタに戻ることにした。

 1983年9月27日午後10時、兵士達がドアを蹴りながら「起きろ、テルコ!」と叫んで彼の家に乗り込んで来た。妻のマキシマ・テノリオは部屋に閉じ込められ、それでもドアを壊して外に出たが、兵士達が夫を連れて行くのを止めることはできなかった。その夜、兵士達は夫の他に大勢の村人たちを連行し、家々を回って略奪を行った。その後数日して、パンパカンガージョに駐屯地を設置した。

 村人たちは夫を探してほしくなさそうだった。いつも、何かを企んでいるとあらぬ疑いをかけられたり、あいつはテロリストの一味だと兵士に告げ口されたりした。どこを探しても夫は見つからず、ウアマンガまでやってきた。ウアマンガで、アンヘリカ婦人や他の女性たちと共にあらゆる場所を探し歩いた。

 夫は私に小さな4人の子どもを残していった。私は過ぎ去ったすべての時間を苦痛と共に生きてきた。

 アレハンドロはリマでこのマフラーを購入し、パクパタでの厳しい寒さから身を守るために使っていた。

⇒証言(マキシマ・テノリオ・デ・パロミーノ)

2022年03月18日更新