ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

H-3 ウチュラハイ村事件

ウチュラハイ村事件で殺害されたジャーナリストたち(右下、オクタビオ・インファンテ撮影)とその遺体(エル・ペルアーノ紙)

 センデロ・ルミノソに対する村人の蜂起を取材するため、ワンタ州の奥地にあるウチュラハイ村を訪れていた8人のジャーナリストたちが1983年1月26日に殺害された。

ウチュラハイ村事件 ジャーナリスト

 7名のジャーナリスト達:ホルヘ・セダノ、アマドール・ガルシア、ルイス・メンディビル、フェリス・ガビラン、ペドロ・サンチェス、ウィリー・レット、エドムンド・デ・ラ・ピネラ(1986年1月25日、ウチュラハイの虐殺の前日に、8人目の犠牲者であるオクタビオ・インファンテが撮影)

殉職者たち

 ウチュラハイ事件の調査委員会は、ジャーナリスト達を殺害したのは村人達であるとしたが、よそ者に対して恐怖を抱かざるを得ないような状況に追い込んだセンデロ・ルミノソに一番の罪があとし、同様に管理不十分な状態で村の自警団結成を推し進めた軍にも間接的な責任があるとした。

 ※ウチュラハイ事件に関して、現地調査に基づいて書かれた次の論文が参考になります:細谷広美2013「人権のグローバル化と先住民 : ペルーにおける紛争、真実委員会、平和構築」『文化人類学』77(4): 566-587。

2022年03月22日更新