ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

C-6 テオフィリオラモスガンボアさんのブラウス

犠牲者
テオフィリオ・ラモス・ガンボアさん (38歳) 
証言者
フェリシータス・デルガディージョ・ビウダ・デ・ラモスさん

テオフィリオ・ラモス・ガンボアさん

 テオフィリオは5人の子どもの父親で、サン・ファン・バウティスタ地区の市場で働いていたが、それ以前はウアマンガ州の自治体で6年間働いていた。1986年5月18日午前4時、諜報機関と軍のメンバーによって家から連れ出された。彼らは「尋問するだけだ」と言って、家から2ブロック先に停めてあった軍用車で彼を連れ去った。

 翌日、妻のフェリシタス・デルガディーリョが検察庁とジャーナリストに告発した。その後、テオフィリオ消息は途絶えたままである。

 テオフィリオは、幼い頃に母と歌った歌をよく口ずさんでした。
 「お母さん 僕が家を離れても忘れないでください。曇り空の日には あなたを想い出して泣くでしょう」

テオフィリオ・ラモス・ガンボアさんが娘に贈ったブラウス

 テオフィリオには5人の子どもがいた。これは、長女のルシ・ラモスが、失踪直前の彼の誕生日にもらったブラウス。フェリシタスは3ヶ月に1度、夫のことを忘れないように夫の服を取り出しては昔を懐かしんでいる。

⇒証言(フェリシータス・デルガディージョ・ビウダ・デ・ラモス)さんへのリンク

2022年03月18日更新