ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

C-4 アルビーノキカーニョニュニェスさんのスーツネクタイ

犠牲者
アルビーノ・キカーニョ・ニュニェスさん(41歳)
証言者
セルヒア・フローレス・ビウダ・デ・キカーニョさん

アルビーノ・キカーニョ・ニュニェスさん

スーツとネクタイ

 アルビーノは、パクパタ小学校の教師だった。この展示品は、アルビーノが学校の特別な式典などで着用していたスーツとネクタイ。

 1983年6月1日午前3時、兵士達は、カンガージョ郡ロス・モロチュコス区のワルチャンカ村にある彼の家を急襲した。アルビーノは中庭に連れ出され「首の後ろに手を当てて地面に伏せろ!」と怒鳴られた。

 「お前は誰を殺したんだ!武器はどこだ!」妻のセルヒア・フローレス・スルカは、全力で夫を守ったが、兵士達は夫の頭と胸に銃を突き付けたので黙るしかなかった。アルビーノは背中を殴られ、寝間着姿でパンパ・カンガージョの警察署へと連れて行かれた。

 セルヒアが村役に事件のことを話すと、村役たちは「アルビーノはいくつかの供述を求められて拘留されているだけだ」と答えた。それ以降、アルビーノの消息は途絶えてしまった。

 アルビーノには7人の子どもがいて、歌が好きだった。“Picaflor de los Andes”(アンデスのハチドリ)、“Mi chiquitín”(私の愛しい人)、“poncho negro”(黒いポンチョ)、“tú no más tienes la culpa ”(あなたのせいよ)などの歌を好んでいた。彼は音楽家であったため、友人達から「歌手」というニックネームで呼ばれていた。

⇒証言(セルヒア・フローレス・ビウダ・デ・キカーニョ)さんへのリンク

2022年03月18日更新