ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

B-1 アルキメデスアスカルサメンドーサさん

犠牲者 
アルキメデス・アスカルサ・メンドーサ
証言者 
アンヘリカ・メンドーサ・デ・アスカルサ

アンヘリカさんの息子アルキメデスの写真とメモ
アンヘリカ・メンドーサ・デ・アスカルサさん(1929⁻2017:「ママ・アンヘリカ」と呼ばれ、慕われた、アンファセップの共同創設者)

 「息子のアルキメデスは、19歳で行方不明になりました。息子は、1983年7月12日に家から連れ去られました。深夜12時半頃に、警官、兵士、犯罪捜査官らが家に乗り込んできて、家じゅうを捜索しました。そして、寝ている息子を連行したのです。「我々と一緒に外に出るんだ」と言いながら、息子を家から引きずり出しました。

 私が「なぜ息子を連れて行くんだ」と言うと、彼らは「黙れ、ババア!」と怒鳴りました。私は息子の体をしっかりと掴みましたが、息子と一緒にドアまで引きずられました。そして、ドアの前で手を捻られて蹴り飛ばされてしまい、息子は連れ去られてしまいました。去り際の兵士に「婆さん、来るなら明日だ。空港でお前の息子を引き渡してやる」と言われました。翌日、息子を探しに兵舎に向かうと「連れてきていない」と言われ、どうしたらいいのかわかりませんでした。

 私は毎日息子を探し続けました。そして、失踪から15日後、息子から小さなメモ書きが送られてきてきました。私は、それを今も持っています。そこにはこう書かれていました。

 「お母さん、僕はとてもやっかいなことに巻き込まれてしまいました。弁護士を雇って、何とか裁判ができるようにしてください。けれども僕は元気なので、心配しないでください。とにかく毎日兵舎へ来て、なんとか僕をここから出して裁判所に引き渡してくれるよう、お金で解決できるか、粘り強く話し合ってください。        83年7月15日 アルキメデスより 」

※アンヘリカさんの証言はアヤクチョの記憶博物館では武力紛争の記憶を表現する第1室ではなく、アンファセップの活動を収めた第3室に展示されています。しかしこのバーチャル記憶博物館ではアンヘリカさんの息子の失踪についても他の証言と共に展示することにいたしました。

⇒証言(アンヘリカ・メンドーサさん)へのリンク

2022年03月22日更新