ペルー アヤクチョ 武力紛争で奪われた家族の記憶 ホーム ペルー アヤクチョ写真集『痛みの帰郷』 写真集『痛みの帰郷』第1部 救出と希望② 21. 法医学専門家が梱包された遺骨を分類する間、被害者親族は発掘作業を見守っていた。ラ・マル郡、チュンギ地区、シュルルパンパ村 22. それぞれの遺体は分類された後、運搬用の箱に収められる。ラ・マル郡、チュンギ地区、シュルルパンパ村 23. 遺骨の入った箱は、法医学者によって現場近くのキャンプに運ばれる。ラ・マル郡、チュンギ地区、シュルルパンパ村 24. テレサ・カサ・キスペが、母、叔母、従兄弟が発掘された現場に佇んでいる。母親達は、他の12名の村人達と共に軍と村の自警団によって殺された。ラ・マル郡、チュンギ地区、シュルルパンパ村 25. メルセデス・カストロと夫のロビン・キスペが、1987年に軍に殺害された父セバスチャン・キスペの遺骨を運ぶ。ラ・マル郡、チュンギ地区、ピント村 26. 2013年11月に発掘されたすべての遺骨と遺留品を納めた箱をラバの背中に乗せる。計19か所の埋葬現場が発掘され、未成年者24名、女性18名、男性6名、性別不明の成人8名の計56名の犠牲者がこの現場で発見された。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 27. 遺骨は鑑識のためウワマンガへと運ばれる。最初はラバで運ばれる。アプリマック川の峡谷を越えて、1番近い道路があるアマイバンバの町まで14時間の旅である。道路にたどり着くと、そこから15時間かけてアンダワイラスの街へと移動し、そこからさらに4時間かけてウアマンガの鑑識所へとたどり着く。 28. 発見された犠牲者が弔われる傍らで、他の村人たちはサッカーに興じている。アヤクチョの孤立した村々は、穏やかな日常を送っている。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 29. 村の男は、太陽の光を浴びながらジャガイモを収穫する。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 30. 女性は、家族で食べるため、あるいは販売するために豚を育てている。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 31. 女児が羊を追い立てている。アンデスの村人達は、幼い頃から日々の生業を学んでゆく。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 32. 女性が屠殺した豚の皮をはいでいる。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 33. 3人の女性がウミータスを作っている。ウミータスとは、トウモロコシをすりつぶして作る蒸しパンのようなもので、ほのかに甘く香ばしい味がする。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 34. 村人が調理に用いると薪を切っている。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 35. 女性が鍋を使って間食の準備をしている。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 36. 明け方になると、女性達は日々の生業を始める。家の壁は、泥と石と藁を混ぜて作られている。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 37. 朝、学校に出掛ける子ども。子どもが学校に通えるのは、村に平和が取り戻されたおかげである。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 38. 授業に集中する少年。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 39. たった1人の教師ですべての生徒を教えている。村には15名の生徒がいるが、ほとんどの生徒は時間割通りにやって来ない。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 40. 子ども達が紐で遊んでいる。ラ・マル郡、チュンギ地区、ワルワ村 41. 2016年4月、法医学専門家より引き渡された犠牲者数名が埋葬される。犬が吠える中、村の共同墓地で遊ぶ子ども達。ワンタ郡、ウチュラハイ地区、ハノ村 2022年03月20日更新 フィールド ペルー アヤクチョ武力紛争で奪われた家族の記憶 イントロダクション バーチャル記憶博物館 証言集『沈黙はいつまで』 写真集『痛みの帰郷』 カナダ ユーコン大学と先住民族との共働 1 イントロダクション 2 カナダの負の歴史と暗闇 3 キャンパスの脱植民地化と和解 4 カリキュラム 5 研究倫理と脱植民地化 6 先住民族と大地 ~ Stewardshipとは 7 もっと知りたい人のために 日本 サッポロアイヌ・コタンのある風景と遺骨の帰還 イントロダクション サッポロ・イシカリのアイヌ・コタンのある風景