ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

バーチャル記憶博物館へようこそ

アヤクチョの記憶博物館とその設立経緯

 オリジナルの記憶博物館はペルーのアヤクチョ州ウワマンガにあります。この記憶博物館「二度と繰り返さないために」(El Museo de la Memoria «Para que no se repita»)は、1980年から2000年に起こったペルーの国内武力紛争の原因と結果、行方不明となった家族を探し求めるたたかい、そして犠牲者の記憶と尊厳を来館者に伝えてきました。この記憶博物館は2004年から2005年にかけてアンファセップの主導で建設された、ペルーで最初の被害者による博物館です。記憶博物館はアンファセップ理事会が運営し、ペルー政府からの財政支援は受けておりません。

 アンファセップで博物館を作るというアイデアは、2003年に、たたかいのシンボルである十字架と旗を保存したいという女性達の思いから出てきたものです。擦り切れてボロボロになった古い旗を処分して、新しい旗を展示したいという案も出ましたが、共に苦しい時代を乗り越えてきた平和的闘争のシンボルである旗と十字架はかけがえがないもので、オリジナルのまま保存・展示しようという結論になりました。

 当初はアンファセップの施設1階にある会議室の隅にケースを設置し、そこに十字架と旗を展示しようと考えましたが実現に至らず、ドイツ開発協会(DED : Deutscher Entwicklungsdienst)の代表団との会合でこの提案を話したところ、賛成を得たばかりか、さらに大きな記憶の場を作ることへと話が発展しました。これを受けて、アンファセップのメンバーは、十字架や旗以外にどのような物や情報を展示すべきか話し合いました。こうして、記憶博物館の構想が徐々に具現化していくことになりました。建設途中の施設の3階部分を展示フロアとすることも決まりました。このプロジェクトに、ドイツ開発協会(DED)のライナー・オルト氏の助言はありましたが、「博物館に何を展示するかは、彼女たち自身が決めたことで、私を含めて外部から何を展示すべきかの提案は一切行ないませんでした」とオルト氏は述べています。

 その後はメンバーからの提案を具体化していくプロセスへと入りました。展示する衣服や工芸品、パネルなどの選定が行われました。博物館の展示や運営の方法に関しては、アンファセップのメンバーに加えて、現地の専門家やアドバイザー、DEDの専門家などが積極的に参加した。また設立の資金は、ドイツ大使館、ドイツ開発協会(DED)、ドイツ技術協力(GTZ)、女性・社会開発省(MIMDES)、全国人権委員会などから提供を受けました。

 準備の過程で博物館の構想はさらに広がりを見せました。屋内展示に加えて、アンファセップの施設の前にあった公園を、州議会による決議を経て「記憶の公園(El Parque de la Memoria)」と改称し、公園内に「記憶のトーテム(El Tótem de la Memoria)」を設置しました。また建物の中庭には「記憶の礼拝所(El Santuario de la Memoria)」を設けることになりました。こうして約1年に及ぶ作業を経て、2005年10月15日、アンファセップ記憶博物館「二度と繰り返さないために」が完成したのです。

痛みと勇気を記憶するための場所

 記憶博物館は歴史の出来事を学び、その被害を受けた人々の痛みと苦難を知るところです。それに加えて、ここには真実と正義を求めるアンファセップの努力が示されています。奪われた肉親の記憶、最後の手紙、遺された服や写真を、女性たちは涙を流しながらここに持ち寄って、その苦難と苦闘を展示しました。

 記憶博物館は3つの部屋に分かれています。

 1番目の部屋にはアンファセップのシンボル、失踪者の衣服、証言、芸術作品などが展示されています。

 2つ目の部屋では「拷問部屋」と遺骨の発掘作業が再現されています。

 3番目の部屋ではアンファセップのメンバーの写真や、年表が展示されています。

バーチャル記憶博物館

 皆さんがご覧になっているバーチャル記憶博物館は、ウェブサイト「脱植民地化のためのポータル」のペルー編のために作成したものです。アンファセップの全面的な協力のもと、現地研究協力者・五十川大輔さんの支援を受けながら小田が構成をしました。オリジナルの記憶博物館はアンファセップのメンバーが手づくりした1フロアのスペースですが、それでも展示物と情報力は膨大です。アンファセップの方々が思いを込めて作り上げた内容を削るのは苦渋の決断でしたが、いたしかたの無いことです。実際の展示内容を取捨選択して、バーチャル展示を作成する際の基本方針として次を立てました:

  • オリジナルのセクション分けに従う。
  • アンファセップの人たちのやり方から学ぶ。言い換えるとあえてアンファセップの視点に軸足を置く。その人たちを研究や分析の「対象」にせず、展示を作り上げたその行為主体性を尊重し、共有しながら、日本の文脈で表現する。
  • 武力紛争の被害を抽象的な数字や説明に終わらせず、その影響を受けた具体的な人と出会えるようにする。アンファセップの人たちにとって、武力紛争の被害とは「三人称(彼ら)」ではなく、かけがえのない「二人称(あなた)」で呼び合った肉親を失う経験であるため。植民地化の一面として、植民地の人々を抽象的で劣った「彼ら」として差別的に他者化することが行われる。それに抗して、具体的な顔と名前のある「人」として知り合い、その声が聴けるようにする。
  • 「悲惨な犠牲」の面ばかり強調せず、当事者の「痛み」を共にしながらも(コンパッション)、その人として「生きる姿」を浮かび上がらせるようにする。
  • そのために犠牲者とその家族の証言にはより大きいスペースを割く。博物館で展示されている人から、証言集『沈黙はいつまで』に重複して登場する人を優先する。その人を複眼的に理解できるようにするため。
  • アンファセップ独自の展示内容(十字架と旗、レタブロ、「二つの炎」、子ども食堂、記憶のトーテム)は重点的に取り上げる。
  • 訪問する人が「遠い所で起こった、自分とは無関係な他人事(対岸の火事)」で終わらせず、歴史の中でのつながりがわかるようにする(「脱植民地化」があちらとこちらの共通の課題だと伝わるようにする)。

 実際にこれら全ての方針が実現できているかどうか定かではありませんが、訪問者の感想をお聞きしながら、近づけていきたいと思います。

 なお犠牲者の氏名と顔写真および遺留品、その家族の氏名と証言をこのバーチャル記憶博物館で公表しておりますが、すべてアンファセップを通して家族の方の許可を得ております。

2022年03月22日更新