5.4 ユーコン大学研究倫理審査
カナダでは、研究者が所属する大学や学会においても研究倫理規定が定められており、日本からカナダに赴き、カナダの研究機関に所属する研究者(国籍を問わず)と共働研究をしたり協力を仰いだりする場合、その研究者が所属する研究機関や学会などの研究倫理審査委員会(REB)の許可を得なければなりません。REBの審査が組織によってどのように違うのか、私は知識がありませんので、実際に体験したユーコンカレッジの研究倫理審査の概要を紹介します。
【必要書類】
1.申請書 (ユーコンカレッジREB申請フォーム)Forms | Yukon University
2.コンセントフォーム(調査等の協力者・被験者へのインフォームドコンセントに使用する文書)
3.ファーストネーションの土地や人が関係する場合、該当するネーションからの許可を証明する文書
私の印象では、S&EライセンスやTCP2:COREよりも、ユーコンカレッジのREB審査申請ははるかに厳しいものでした。あるいは、これほど厳しく、協力者(とくにファーストネーションの人々)の権利を守るための手続きが必要という意識のレベルが、私自身、かなり低いということでしょうか。
リスクとベネフィット
申請書に記入する内容で、おそらく日本の研究者にとって戸惑いを覚えるのは、「リスクとベネフィット」の項目でしょう。人を対象とする場合には、どんな研究においても「心理学的リスク」と「社会的リスク」の可能性はゼロではないという立場にたって、インタビュー調査であっても可能性あるリスクとその対処法を記入する必要があります。たとえば、カウンセラーを帯同したり、無料で受けられるカウンセリングサービスの連絡先を渡したりといった対処法があります。
ベネフィットも具体的に記入するためには、研究計画を精査することになります。たとえば、「Repatriation(返還)」をテーマに研究計画を提出したとします。この研究によって直接、ユーコンにおけるRepatriationの課題が解決するといったことだけがベネフィットではなく、たとえば、「日本の研究者がRepatriationという概念をどのような範囲で捉えているか」、「Repatriationが日本でも問題となっていてどのような解決があり得るか」といったことを外部からの調査を受けることによって、地元の課題を可視化・相対化できるというベネフィットもあります。調査にあたって、調査地の若者をアシスタントとして雇うことで経済的・教育的なベネフィットをもたらす方法もあります。謝礼については必ずしも謝金でなければいけないことはなく、状況によってはお茶とクッキーを用意する、お礼のカードや小さな贈り物を用意するといったことでよい場合もあります。
ただし、これも個人的な印象ですが、どういう研究の場合にREBの審査を受けるのか、またREBの審査は妥当なものなのかという点について、幾分、議論がありそうです。たとえば、現場でのインタビューはフォーマルなものだけでなく、インフォーマルなもの、偶然的なものもあり得ます。現場に入る前に立てた問いが、現場の調査過程で変化したり発展したりすることもあり得ます。事前の審査を受けてコンセントフォームに明記した範囲でしか、人と話をしていけないとすれば、それは研究を倫理的なものにするというよりは窮屈で実りの少ないものにしかねません。どこまでをREBの審査に上げ、どこからは「個人的な対話」とするのかは、研究者の側だけでなく、インフォーマント(情報提供者)の側にとっても気を使うことかもしれません。インフォーマントがファーストネーションの人の場合、コンセントフォームにサインするには、ネーションとしてその研究を承認していることが前提として必要になるかもしれません。信頼関係を築く段階、研究課題を絞り込む段階では、互いに率直な対話をして、時にはすれ違いや摩擦なども経験したうえで、いよいよ共働で研究に取り組むという段階でREBの審査を申請する方法もあるのかもしれません。逆に、現場における信頼関係も築けていないうちからREBの審査を受けるということは、研究者が一方的に調査内容を定めていると受け止める人がいるかもしれません。いずれにしても、調査地に入る前に該当のREBに申請が必要かどうかを確認するとよいでしょう。
ユーコンユニバーシティのウェブサイトでは、REB申請の手順が公開されています。
YukonU Web Flowchart Ethics 22022021.pdf
なお、研究を発表する場合には、(できれば事前に)インフォーマントや協力したネーションの校閲・確認を得る必要があります。日本語で発表する場合でも、英訳が必要です。伝統言語に翻訳が必要かどうかは、事前にネーションと確認しておくとよいでしょう。
コンセントフォームについて
インタビューなどの調査を行う場合には、コンセントフォーム(同意書)を倫理審査申請の際に添付書類として提出する必要があります。REBのひな形がある場合には微調整するだけでよいのですが、日本の研究環境と比較してインフォームドコンセントをとることが厳格に求められていると実感させられます。研究の趣旨を手際よく説明したうえで協力を得るための同意を書面でもらうという手続きが、現場でスムーズに行われるには、研究者の側にも調査対象者の側にも求められる前提があると言えます。研究者にとっては、気軽に意見を聴きたいとか、改まって説明をすると敬遠されるのではないかとか、説明しても理解されないのではないかとかいった考え方は通用しないことになりますし、対象者の側も、研究趣旨を理解して積極的に関わる意志が必要と言えます。またコンセントフォームには、いったん同意した場合でも、協力者の任意で随時撤回できると記載し説明することが必須とされています。
【参考】ユーコンカレッジREBコンセントフォームガイドラインhttps://drive.google.com/file/d/1B5Syz7I8gdh-wPI4mW_HZSZhaza1mLv7/view
日本におけるアイヌ民族の遺骨問題を顧みると、研究者からの十分な説明もなければ、アイヌの方々の自由意思に基づく同意でもなく、同意は随時任意で撤回できるというインフォームドコンセントの原則にも反しています。
ここで紹介したのは、あくまで私が体験したユーコンカレッジでのREBの審査に関連した情報です。ユーコンユニバーシティになって、研究倫理として求める要件や手続きが更新されているようです。REBのメンバーにはファーストネーションイニシアチブ(FNI→3.4参照)のスタッフが加わっています。最新情報はウェブサイトでご覧ください。
https://www.yukonu.ca/research-and-innovation/our-services/research-ethics