ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

G-1 拷問部屋

拷問部屋1
拷問部屋2

死のスタジアム

 1983年、沿岸部のリマからやってきた海兵隊の一群は、ワンタの街にある市立スタジアムに駐屯地を置いた。そこでは、テロリストの疑いのある人々に対する取り調べが秘密裏に行われていた。真実和解委員会の調査によると、拘留者達は人目に触れぬよう設置されたいくつものテントの中で拷問を受けた。同駐屯地における拷問による死者は、統計的に見ても83年が最も多かった。(「戦慄の真実:恐怖の時代のペルー」『カレタス誌』、リマ 2003年)

 1984年、ワンタの駐屯地において無実の6名のキリスト教伝道者が殺害され、1名のジャーナリストが行方不明となった。後に、同駐屯地内において50名の遺体遺棄と隠蔽が発覚するなど、この年は多くの冤罪事件が発生した年でもある。

拷問部屋3
拷問部屋4

拷問

 カサ・ロサーダとロス・カビートス51兵舎では、拘束者の尋問の際に日常的に拷問が繰り返されていた。兵士たちは、破壊活動への関与を強制的に自白させるために拷問を加えた。

 以下は、両施設内で行われた拷問の具体的な事例である。
・後ろ手に腕を縛られ滑車を用いて空中に吊るされた後、体中殴る蹴るの暴行を受けた。
・多くの場合、洗剤を入れた水の中に何度も顔を沈められた。
・体のあらゆる部分、特に性器に電流を流された。
・数日間水も食べ物も与えられず、時には不衛生な容器に入った生ゴミを与えられることもあった。
・拷問を受けている悲痛な叫び声を探しに来た近親者に聞かされることもあった。(『真実和解委員会 最終報告書 第1部 第7巻 過程、事実、被害』より)

 「連れ去られた時から、たとえ骨や肉片の一部でもいいから夫を探し出して埋葬してあげたいと思っていました。チャキワイコやパルマヨックの渓谷は沢山の死体が捨てられており、犬や豚が死肉を貪っているという信じられない光景がそこにはありました。」(行方不明者家族の証言より:アムネスティ・インターナショナル・ペルー、ドキュメントシリーズ、英国、1985年)

2022年03月20日更新