ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

F-4 キヌア陶器の人形

キヌア陶器の人形 アヤクチョ州キヌア地方名産の陶器で作られた人形で、兵士による暴力を表している

 誰も逃れることはできなかった。

 ひとたび内戦が始まると、誰一人としてこの暴力による惨劇から逃れることはできなかった。老若男女の区別なく命を奪われ、常に若い男性は殺害の標的となった。

 死者・行方不明者の半数強は20歳から49歳の男性が占めた。彼らの多くは一家の大黒柱たる父親であった。市長や村役を担っていた者もいれば、若き学生達も殺害された。とりわけ、最も多く殺害されたのは村落に暮らす農民達であった。センデロ・ルミノソによる犠牲者およそ1万人のうち、その半数以上が農業や牧畜に従事する男性達であった。

 センデロ・ルミノソは、農村出身の若者達が、親達よりもしっかりと学業を修め、自らの生活状況の改善に向けて闘う存在となり、新しい政治の中心を担うことのできるよう、人々に協力を求め、若者達を党員に取り込もうとした。

 犠牲者の数が最も多かったのは、農村部ならびに貧困層であった。死者・行方不明者の内10人中4人がアヤクチョ州の出身で、3/4がケチュア語圏の人々だった。

 軍隊や警察は、テロ行為の首謀者やセンデロ・ルミノソの支配下にあった村落部のリーダーや学校関係者などを選択的に殺害した。(真実和解委員会 『暴力の過去と平和の未来 暴力の20年 1980-2000』)

2022年03月20日更新