H-1 ロス・カビートス兵舎
「なぜ私の息子を殺したの?」(フリオ・セサル)
真実和解委員会は、1983年から84年にかけて、「ロス・カビートス」と呼ばれた第51番兵舎に駐留する陸軍メンバー、ならびに「カサ・ロサーダ」と呼ばれた国家情報局の施設に勤めるメンバーらが、地元住民に対する人権侵害を命令、許可、実行していたことを立証した。彼らは恣意的な拘束や拷問を行った後、拘束者を釈放、もしくは強制失踪した。市民に対する超法規的処刑は、立証されただけでも136名に上る。(『真実和解委員会・最終報告書』より)
ロス・カビートス兵舎およびその周辺の発掘調査は、2005年2月に行われた。兵舎内には、拘束者や強制失踪者に拷問を加えて殺害したのち、証拠隠滅の目的で使用された焼却炉が存在した。その後、この焼却炉は軍部自らによって破壊され、そのがれきは兵舎周辺に投棄された。
当初は、軍事基地拡張のために必要なレンガを製造ために作られたと思われるこの炉は、1984年から86年に至るまで、遺体の焼却のために利用されたことになる。
この調査には、人権問題、超法規的処刑、強制失踪、死体遺棄現場発掘作業などを担当する検察官や検察庁法医学研究所の専門家、被害者側の弁護士などが参加した。(APRODEHアーカイブ)
ロス・カビートス兵舎周辺で最初に発見された遺体遺棄現場。アンファセップ代表のアンヘリカ・メンドーサ立会いの下で発掘が実施された。
発見された遺体遺棄現場。今まで一度も掘り返された形跡がなく、ロス・カビートス兵舎において、未焼却の状態で初めて発見された遺骨であった。
1984年~1986年の間、多くの人骨が火葬された。
「墓場」と呼ばれるエリアでの発掘作業。ロス・カビートス兵舎の周辺に位置し、およそ500体の遺体が埋まっていたと推定される現場。(“libro: Muerte en el Pentagonito” Ricardo Uceda. Nov.84)
上級検察官立会いの下行われた調査。およそ2週間から3週間の間、行方不明者の親族が4、5名ずつに分かれて、ロス・カビートス兵舎での発掘作業に同行した。