ペルー アヤクチョ

武力紛争で奪われた家族の記憶

B-2 フェルナンドリサナウアマンさん

犠牲者
フェルナンド・リサナ・ウアマンさん(30歳)
証言者
マリア・ウアマン・ラモスさん

フェルナンド・リサナ・ウアマンさんの帽子

 フェルナンドは、1953年5月31日にチュンギで生まれた。

 フェルナンドは国立サン・クリストバル・デ・ウアマンガ大学の化学工学部で学んでいたが、家庭の経済的事情から休学し、アンデス東部の熱帯雨林地域にあるピチャリ郡サン・フランシスコ村でカカオの栽培を始めた。お金が貯まったら学業に戻ろうと思っていた。1983年、サン・フランシスコからアヤクーチョに向かう途中、兵士たちがフェルナンドの乗車していたバスを停止し、他の乗客と共に連行されてしまった。以後、フェルナンドは行方不明のままである。

 その後、同じくカカオ栽培に従事していたフェルナンドの父オディロン・リサナ・ロカ(40歳)と16歳の息子も軍よって殺害された。

 この手編みの帽子は、母親のマリア・ウアマン・ラモスが、フェルナンド失踪の約3年前にプレゼントしたもの。フェルナンドは、早朝に近所の友達とサッカーなどをする際にいつもこの帽子を被って出掛けていた。

⇒証言(マリア・ウアマン・ラモス)へのリンク

2022年03月22日更新