A-6 インカルㇱぺ - 藻岩山
JRで新千歳空港からサッポロに近づいてきたとき、まず目に入ってくるのがこの藻岩山です。アイヌ語ではインカルㇱペ、「いつも眺める所」という意味です。インカルㇱペと藻岩山とではずいぶん語感が違いますね。それもそのはず藻岩山とは、北側にある別の山モイワ(小さな岩山)を和人が勝手にずらして付けた名前です。本来のモイワの方は「円山」とされました。この土地の先住民族をリスペクトするのであれば、名前を元に戻すべきでしょう。アラスカの「マッキンリー山」が「デナリ」に戻されたように。それがすぐに無理だというのなら、せめてインカルㇱペ-藻岩山と併記するのが礼儀であろうと思います。
このインカルㇱペは聖山として地元のアイヌから崇敬を集めてきました。
松浦武四郎は1859(安政6)年の『後方羊蹄(しりべし)日誌』で
「又西岸にエンカルシベと云う山有り、・・・往古より山霊著しき由にて、土人等深く信仰せり。余はここに蝦夷鎮守の宮を建てんことを建白す」
と書き記しています。
また能登酉雄氏(ハッサム・コタン出身の夫婦の元、1873(明治6)年に東京で生まれたアイヌ)が語るところによると、インカルㇱペにアイヌが祈りとイナウを捧げていた姿が浮かび上がってきます。
ヌササンに立てるイナウケマ(幣の足)の長いイナウの中には、エンガルシュぺ(今の藻岩山)、タンネウエンシリ(手稲山の脇に見える長い山)、アソイワ(当別にある山)には尊い神がまします所として、それに捧げる者があった。
エンガルシュぺはこの付近切っての霊山で、ちょうど岩内辺で雷電峠が山鳴りすると風が吹くといって漁師が警戒すると同じように、この山が山鳴りすると大吹雪があるか、疱瘡が流行して来るか、何か悪いことがあるので、山に猟に行っている者は皆逃げ帰った。また疱瘡がコタンに流行し出すと逃げ込んだのもこの山だった。この山の中腹には時々カムイシュネと言って灯火が見える事があった。(高倉1980:143)
現代では頂上に鉄柱やコンクリートの建物が建ち、ケーブルや車で人が訪れるようになっているインカルㇱペ。そのため神聖な雰囲気が乱されてしまっています。しかし、心静かにこの山と向かい合って、ありし日の姿を心に思い描き、祈りを捧げると、その力がよみがえってくるように感じます。
参照文献
高倉新一郎1980「パンナグルものがたり:能登酉雄談話聞書」『新版 郷土と開拓』(北方歴史文化叢書)北海道出版企画センター:135‐156。