4.2.1. 「ANTH140 人類学入門」
初回授業の冒頭、ヘリテージ&カルチャープログラム主任教師でもあるビクトリア・カスティージョ先生が「この講義では、生物学的な根拠として進化の観点を使います。学んでいない人もいるでしょうから、進化学のおさらいをこの授業ではします」と話し、北米に来たことを実感しました。ただし、キリスト教的な考え方と生物学的な考え方の対立に直面することはユーコンではほとんどありませんでした。むしろ、「有史以来」「伝説」といった言葉に対する批判的な態度を意識させられました。
たとえば、「有史以前」(pre-historic)とはヨーロッパ人の観点であり、植民以前に住んでいた先住民族の歴史を無視した言葉です。ユーコンではプレコンタクト(pre-contact)という表現を講義などでよく聞きました。これは、白人と先住民族の接触(contact)以前という意味で、交易、ゴールドラッシュ、入植などの目的でヨーロッパ系の白人がこの地に訪れる以前の時代を表します。
また、ある人にとっては「確信」(belief)であることを「神話」(Myth)と呼ぶと「本当ではない」(not true)のニュアンスを含んでしまうから、この言葉を使うときには気をつけなくてはいけないということも習いました。先住民族の伝統知、口承に対して、欧米型の思考で「神話」という評価を下した瞬間に、もう一つの世界観、記録・記憶の方法を否定してしまうということを、意識しなくてはなりません。
アフリカで発祥した人類がどのように世界に分布を広げ、いつ北米大陸にやってきたかは、先住民族の多いユーコンでは極めて関心の高い重要な問題です。ユーコン北西部の洞窟遺跡や、アイスパッチと呼ばれる万年雪や永久凍土からの発見など、現在も活発に研究が進んでいます。
話題 ロング・アゴー・パーソン(昔の人)と名づけられた遺体 Kwäday Dän Ts’ìnchi
最初に北米大陸に住んでいた人たちはだれなのかということについて、科学的な分析と伝統知の両方からアプローチした研究例として、複数の授業でくり返し教わったのが、クワディ・ダン・ツチ(Kwäday Dän Ts’ìnchi)の事例です。
1999年、ブリティッシュコロンビア州北部山岳地帯の州立公園内で、氷河から狩猟民の服装を身に着けた遺体が見つかります。そこは、ある先住民族ネーション(CAFN)の伝統的生活圏でした。同位体炭素の分析から、遺体は350年~500年前のもので、10代か20代はじめの若い男性とわかりました。遺体はクワディ・ダン・ツチ(CAFNの言葉でロング・アゴー・パーソン、昔の人の意味)と名づけられ、ミトコンドリアDNAの分析と口承から、17人のCAFN市民につながる系譜が判明します。CAFNの人々は、口承で知られていた通り、数百年前にさかのぼる時代、確かに祖先がこの山岳地帯で狩猟をして暮らしていたことに科学的・物理的な証拠を得て喜びます。
分析を終えた遺体は、CAFNの伝統に従って火葬され、氷河に散布されました。現在に至るまで遺体の写真は一切公開されていません。それは、クワディ・ダン・ツチが考古学的資料だからではなく人の遺体だからで、土地権益請求に係る包括的最終契約(→6.6参照)において、伝統的生活圏で発見された先住民族の遺体や物質文化(ethnographic object)を所持・管理する権利(ownership and control)は当該部族にあると認められているからです。
遺体、とくに考古学的時代の先住民族の遺体に関して、権利を明確に定めていることにまず驚きます。同時に、この研究が科学者と先住民族の人々の共働で行われ、先端知と伝統知が合わさって新たな知が生み出されたこと、さらにはその後の研究調査に先住民族の子どもたちも参加して、科学と伝統知の両方への信頼に基づく学びにつながったことを知って感銘を受けました。