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アイヌ・コタンのある風景と遺骨の帰還

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はじめに

 北海道の札幌市は豊平川に沿って作られた街です。

 明治政府が「蝦夷地」を「北海道」と改称し、その「本府」を札幌に定めたのが1869(明治2)年、開拓使庁が函館からこの地に移ったのが1871(明治4)年。それから150余年経ち、札幌市は200万人近い人口の都市に発展しました。北海道大学の前身が札幌に開校したのは1875(明治8)年です。その札幌キャンパスは広大な敷地を誇っています。

 しかしこれは「和人」の視点から見た歴史です。札幌は明治になるまで、またそれ以後もアイヌ民族の暮らしの場であり続けてきました。そこで明治2年を境に、開拓と称する植民地化が始まり、アイヌから土地や生きていく糧や言葉や文化やあげくのはてには祖先の遺骨まで奪われていきました。現在ではアイヌというと白老や二風谷、旭川、阿寒といったイメージがありますが、この札幌にも確かにアイヌ民族の歴史があるのです。ところが現在の札幌市や北海道大学の歴史の書き方・記憶の場の作り方には、アイヌ民族の視点が抜けているように思えます。

 「札幌」はアイヌ語の「サッ・ポロ」=乾く・広い(川)に由来するといわれ、その川の名を和人が「豊平川」と付け替えたのです。アイヌ語地名を尊重するために、ここではあえて「サッポロ」と表記して、この川と流域を表したいと思います。そしてここに存在したのに、歴史の中で消され、今日ではその跡すらも見えなくされているアイヌ・コタンのある風景を、資料をもちいて描き出していきます。サッポロが流れ込むイシカリ(石狩川)の地域も部分的に含めます。

 ここで「風景」という言葉をキーワードとして使うのには理由があります。

 人は風景に包まれて生きています。川が流れ、山を眺め、日が昇り、月に照らされる。四季移り変わりの中で、人は他の人や生きものと関わって、痛みや優しさや感謝の思いを抱きながら生きています。この人生を包み込む舞台を表すのに、「環境」ほど即物的でなく、「景観」ほどよそよそしくない「風景」が私にはしっくりくるように思えます。人が生きているということは周りの森羅万象と共に生きているということです。そこに生物と無生物の境界線や区別はありません。風景が生きているともいえるでしょう。このことを「いのちの風景」という言葉で表して、サッポロのいのちの風景をめぐる旅をしていきましょう。

 サッポロはまた研究と称してアイヌ民族の遺骨が持ち出され、あるいは持ち込まれる場でもありました。それに関わる資料もここ収録いたします。ここから持ち出された遺骨は、かつてここで生きていた人です。その方にとって、サッポロは帰るべき故郷でもあるのです。サッポロのいのちの風景の再生と、かつてここから持ち出されたアイヌの遺骨が帰るべき故郷の探求とは同じことなのだと思います。

 これは「もうひとつのサッポロ地図」ともいえますし「もうひとつのサッポロ史」ともいえるでしょう。植民地化によって形成された偏った歴史(北海道の文脈ではこれを「開拓史観」ともいいます)を脱植民地化して、今とは違う風景を開くための入口(ポータル)として、このサッポロ編が貢献出来ましたら幸いです。

 また、サッポロに住む和人にはここがアイヌの暮らしの場であることの歴史の「健忘症」から醒めるため、またアイヌの方々にはこの土地のアイヌの歴史を知ってそれとつながり直してもらう一助として、このウェブサイトが活用されることを願っています。

 倫理的配慮について:「日本 サッポロ アイヌ・コタンのある風景と遺骨の帰還」に掲載している個人的な情報や写真(例えば「B-3 コトニ・コタン1:豊川重雄エカシの証言」や「B-5 琴似又市さん」)は、すべてご家族に説明をし、許可をいただいております。

 なお、このサッポロ編で引用する和人が執筆した史料には、アイヌ民族に関する差別的な表記・表現が含まれております。当時の歴史的な文脈を直視するためにあえてそのまま収録いたしました。直視することで、乗り越えることができると考えるからです。その点、ご理解いただけましたら幸いです。

 サッポロのアイヌ・コタンの歴史については、まだわからないことが多くあります。またこのコンテンツには、思わぬ間違いが含まれているかもしれません。今後、補足修正してよりよい情報としていきたいと思っております。お気づきの点はぜひ「お問い合わせ」のメールアドレスへご教示いただけますよう、お願いいたします。

小田博志

2022年04月20日更新
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