ペルー アヤクチョ 武力紛争で奪われた家族の記憶 ホーム ペルー アヤクチョ写真集『痛みの帰郷』 写真集『痛みの帰郷』第3部 痛みの帰郷 63. 法医学専門チームのオフィスにある小さな十字架は、運ばれた遺骨を弔うために設置された。同チームは、2017年10月までに国内武力紛争の犠牲者3730体の遺骨をペルー全土で回収し、うち2231体の身元を特定し、2045体をそれぞれの家族に引き渡した。ウアマンガ市 64. 1984年に海軍兵士によって殺害され、プカヤク渓谷で発見された50名の犠牲者の1人が、記憶博物館の一室で親族を待っている。ワンタ市 65. センデロや軍に殺害された犠牲者の親族数十人が、それぞれの棺桶を受け取るために検察庁のセレモニーが始まるのを待ち続けている。ウアマンガ市 66. アヤクチョ地方をはじめとするペルー各地から、被害者の親族が兄弟や父、息子の遺骨を引き取るためにウアマンガ市の科学捜査専門チームのオフィスへとやってくる。ウアマンガ市 67. 30年以上の時が経過しても、愛する人を失った痛みは軽減されることはない。身内の死を悼む2人の農民の女性。ウアマンガ市 68. ワンタ市の中央広場での追悼行進に参加し、涙を流す女性。この日、法医学チームがプカイヤク村の犠牲者の遺骨10体を遺族に引き渡した。ワンタ市 69. 2016年4月、法医学チームはハノ村で40体の遺骨を引き渡した。当時の法務大臣アルド・バスケスは、20名の警官を引き連れて現地入りし、ライフルを手に遺族を監視させた。ワンタ郡ハノ村 70. ハノ村の小学生達が犠牲者のために花を手向けている。遺骨は、鑑識班によって村に届けられた。子ども達は、自分達の村を破壊した許しがたい過去に初めて接することとなった。ワンタ郡ハノ村 71. 2016年4月、センデロ・ルミノソに殺害された犠牲者の遺骨40体を引き渡すための公式式典に参加した当、時の法務大臣アルド・バスケス。ワンタ郡ハノ村 72. 政治的暴力の犠牲者の遺骨が納められた棺を運ぶ小学生達。この日、法医学チームは65個の棺を引き渡した。ウアマンガ市 73. 親族の遺体を自宅に運ぶ家族。ウアマンガ市 74. センデロ・ルミノソに殺害された被害者の母親であるエウセビア・パロミーノは、家族を埋葬するためウアマンガから故郷の村へと向かう。ウアマンガ市 75. 棺桶をミニバスの屋根に載せて村に運ぶ男性。ウアマンガ市 76. ウアマンガとワルワ村を結ぶ道のり。険しい山道のため、村にたどり着くまで12時間を要する。 77. ウアマンガの街からワルワへと向かうディオニシア・ウアマン・キスペ。車の屋根の上には、親族の遺体が入った棺が積まれている。ワンタ市 78. ワルワに到着したディオニシア・ウアマン。1990年にセンデロ・ルミノソにより殺害されたネストル・クーロ、フェリックス・ウアマン、ナルシソ・クシチェの遺骨がミニバスの屋根から降ろされる。 79. ワルワ村に到着した、エウセビア・パロミーノと隣人のディオニシア・ウアマンは、棺を家に持ち帰るための助けを待っている。 80. その日の午後、ある家族がセンデロ・ルミノソに殺された親族の遺骨を受け取った。彼らは家の前でしばしの休息をとり、棺をハノ村の共同墓地へと運ぶ。ワンタ郡、ウチュラハイ地区 81. ネストル・クーロの家族は彼の遺体を弔い、過去を知らない子ども達が大人達の苦しみを目の当たりにしている。 82. センデロ・ルミノソに殺された親戚や隣人の棺の下でロウソクを灯す女性。ワンタ郡、ウチュラハイ地区、ハノ村 83. センデロ・ルミノソに殺された犠牲者の棺がハノ村の共同墓地へと運ばれる。ワンタ郡、ウチュラハイ地区、ハノ村 84. 1990年にセンデロ・ルミノソに殺害されたネストル・クーロ、フェリックス・ウアマン、ナルシソ・クシチェの遺体が、ワルワ村の墓地に埋葬される。 85. オデリア・クーロ・パロミノは、弟のネストルに尊厳ある埋葬をするというかたちで24年ぶりの再会を果たした。墓の上に腰を下ろした彼女の眼には、喪失感と痛みが滲んでいる。 2022年03月18日更新 フィールド ペルー アヤクチョ武力紛争で奪われた家族の記憶 イントロダクション バーチャル記憶博物館 証言集『沈黙はいつまで』 写真集『痛みの帰郷』 カナダ ユーコン大学と先住民族との共働 1 イントロダクション 2 カナダの負の歴史と暗闇 3 キャンパスの脱植民地化と和解 4 カリキュラム 5 研究倫理と脱植民地化 6 先住民族と大地 ~ Stewardshipとは 7 もっと知りたい人のために 日本 サッポロアイヌ・コタンのある風景と遺骨の帰還 イントロダクション サッポロ・イシカリのアイヌ・コタンのある風景