2.3.2　安全な場所の意義と語り

ユーコンの先住民族であるファーストネーションの人々が抱えるトラウマに関連して、それまで少しずつ理解してきたことに新たなものが加わったのは、寄宿学校のサバイバーの子ども世代に当たる人たちの声を聞く会でのことでした。これは大学の行事ではなく、カナダの公共放送局CBCが主催して行った大規模なもので、ホワイトホースのダウンタウンにある先住民族文化センター（クワンリン・ダン・カルチュラルセンター）で行われました。

広いメインホールにはパイプ椅子がたくさん並べられていて、次第にたくさんの人が集まりました。椅子の上にはところどころにティッシュペーパーの箱が置いてあります。すでに寒さの厳しい11月初旬だったので、鼻をかむための心遣いかなと思って見ていたのですが、やがてその意味がわかりました。

壇上に上がったパネリストの人たちは、はじめは皆にこやかに集まった他の人たちから挨拶を受けるなど、なごやかなムードでした。ところがマイクをもって順番に自己紹介と家族の経歴を話し出したとたん、どのパネリストも泣き崩れてしまったのです。顔を見知った人もいましたし、とても人前で泣き出すとは予想もできないような年配の男性もいました。日頃は何気なく日常生活を送っているように見える人々が、実はそれぞれ重い心の傷を負っていて、まだ癒しの途上にあるのだということがわかりました。
パネリストが話し終えた後は、会場の人もかわるがわるマイクの前に立ち、体験を吐露します。話している人も、聞いている人たちも、鼻をすすり涙を拭きます。ティッシュペーパーはそのためのものでした。アナウンスで知ったことですが、会場にはカウンセラーの人も数人配備されていました。

※イベントの模様は動画で公開されています（注意：話者の語りには、人によって非常に辛い感情を引き起こす内容が含まれる可能性があります）。

CBC North Asks: How have families been affected by residential schools? （Nov 08, 2018）

イベントは申し込み制ではあるもののだれでも参加でき、また記録映像がすべて公開されていることからも、こうした語りは秘密裡のものではないとわかります。むしろ、家族の苦しみをまだ聞くことができない人が、同じような経験をした人の話を通して、家族を理解するきっかけとなるのかもしれません。コミュニティの人々が、苦悩を共有していることを認める機会になっているのかもしれません。語る場面においては、だれもが話者が話し終えるまで耳を傾け、介入したり干渉したりすることがなく傾聴し、必要に応じてサポートも得られることが保証されています。安全な場所で、体験や思いに共感しあうことが、トラウマを抱えた心を癒すために必要なのだと知りました。
公共放送がそういう機会をスポンサーしているという点にも、注目しています。

植民地主義の下で世代を超えたトラウマを抱えている人々にとって、体験を共有することの大切さは、研究者からも指摘されています。北海道大学のツァゲールニックさん^＊は、トラウマの経験や歴史に関して語らないこと（沈黙すること）をサイレンシングと呼んで、それが差別や苦痛を次の世代に伝えないようにとの防衛策としての心理から選択され（または植民者側の力により強いられ）ており、コミュニティの再生や社会全体の和解のプロセスには、沈黙を破り健全な語りによって物語を共有する必要があると説きます。ユーコンでは、大学内においてもコミュニティにおいても、安全な語り合いの場が明確な意識をもってつくられていると言えるでしょう。

そして、冒頭に紹介したワークショップで話し合われたことは、今後の教育の現場で生かされていくのだと信じています。

*参照：ツァゲールニック, T. 2021,「トラウマの概念をアイヌの文脈に当てはめる : 比較と考察」アイヌ・先住民研究1，35-51

【参考文献】沈黙（サイレンシング）に関して、ここでは引用できませんでしたが、石原麻衣さん（北海道大学アイヌ・先住民研究センター）のお仕事もぜひ参照してください。
　・石原真衣. 2018, 「「サイレント・アイヌ」を描く―〈沈黙〉を照らすオートエスノグラフィーの可能性―」北海道民族学 (14), 1-16
　・石原真衣著『〈沈黙〉の自伝的民族誌（オートエスノグラフィー） サイレント・アイヌの痛みと救済の物語』北海道大学出版会（2020）