D-1 アドルフォ・ペレス・エスキヴェル子ども食堂
親を失った子ども達は、ここアドルフォ・ペレス・エスキヴェル食堂で、アンファセップの母親達が作った食事を食べて育った。アンファセップの食堂は、設立当初は食材が不足しており運営は苦しかった。
暴力によって家を失った女性達は、子ども達を連れてこの食堂で食事をとっていた。みな本当に貧しかった。木のスプーンも足らず、皆小さなバケツを持ってきては人数分の食事を家へ持ち帰っていた。(朝食と昼食は食堂で食べ、夕食分は家に持ち帰っていた。)
最初は、ドス・デ・マヨ通りにある「マエストロの家」で、メンバー自らの努力で子ども食堂を作った。母親達は、町中の市場へ出かけて食材やなどの援助を呼びかけた。また、メンバー自身もそれぞれに薪や食材を持ち寄った。その後、CHIRAPAQやPRONAAから支援を受けるようになり、現在のアンファセップ事務所設立と共に同じ敷地内で食堂を運営するようになった。
「涙と飢えに苦しむ出身地の異なる子どもたちが共に食事をし、遊びながら、時には喧嘩しながら共に暮らすことを学び成長していった」。
アンファセップ理事会の母親達による回想 (2004-2006.)
2022年03月18日更新